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議員定数削減問題の本質

県議会議員選挙中で、しかも雨続きということもあって、明確に議員定数削減問題に対し反対の意志表明をしている候補者と会って話をすることが出来た。

また、この問題に関しては市民活動家、現職議員、そしてこの問題に対して深く考えている有権者にも何人も会って話を聞く機会に恵まれている。

多くの人と話を重ねる中で、議員定数削減問題が抱えている問題の本質が見えてくる。それは民主主義・議会政治における二つの相反する思想の潮流の問題だという事だ。



大袈裟な言い様に聞こえるが、これは議会内で、議員レベルで結論の出る様な話ではないと考えた。主権者である市民の判断を仰ぐべき問題なのだろうと、本気で考える。


議員定数の削減に賛成の立場をとる人間が大別して2種類居る。1つは「議会など役に立たないから少なくていい」という意見。もう一つが、「議員の質が高ければ、こんなに人数が要らない」という意見。

議員定数削減反対の立場をとる人間も、大別して2種類居ると思われる。1つが、議員の数が多いほど市民の声を聞けるというもの。もう一つが、将来性のある若い議員が選挙に弱いということを問題視する意見だ。


議員自身の保身の問題はこの際論外として、この4つの意見の中に相反する2つの思想がそれぞれ入り乱れている。


1つは議員個人に高い質を求めていく考え方。そしてもう一つが、議員個人の質は――極論すれば――問題ではなく、議会の質を「システム」に求めていく考え方だ。

この相反する二つの思想を、ここでは仮に「議会議員資質論」と「議会システム論」と名付けておく。


「議会システム論」は、議員が何人居れば市民の声を相応に聞き取れるか、会派・党派として議会に何人居れば存在感と発言力があるかを考える。議員個人の質よりも、システムとしての議会の運用。システムとして会派・党派の意思決定が優先される。

この議会システム論の中で、一方で議員など役に立たないから少なくていい(一定の役割が担えるなら、議員数は必要ではない)という考え方が存在し、他方で一定数の議員数をシステムとして求めている。


「議会議員資質論」は、現在の議員のレベルが低いことを問題とする。議会をシステムと考えず、議員個々の能力が議会の質を左右すると考えている。定数を減らす過程の中で議員の質が高まる事。あるいは議員の質が高ければ、これほどの人数が要らないことを削減の根拠としている。ただ、この「議会議員資質論」の考え方を基本的には持っていながら、狭き門にしてしまうと新しい若い芽が育ちにくいことを問題として、定数削減に関しては慎重な見方が存在する。


私は、というと「議会議員資質論」側に立ち位置を置く。議員には、質の高さを求めていくべきだろう。これも時代によりけりだとは思うが、時代の変化が緩慢である、あるいは安定している場合は、議会はシステムであっても良いかもしれない。しかし、変化の激しい時代には、議会は社会的創造を担っていかなければならないと考えている。であるならば、議員の質を問題とすべきだろう。システムにチェック機能は求められても、創造力を求めることはできないだろうと考えるからだ。


実際には、この二つの思想のせめぎ合いの中で議員定数は決まっていくのだろう。主権者である市民とて、定数がいくつなら適当かという判断ができるわけもない。「議会システム論」の立場とてシステムとして何人必要かを明確に導き出しているわけではなく、今までの定数からシステムを作り上げただけのことだろう。一方で、あまりに狭き門にしないための意識が「議会議員資質論」の中でも起こるだろう。


一進一退の攻防を繰り返しながら、適正定数が次第に見えてくるということなのだろうか。


by active_report | 2015-04-13 00:33 | 選挙準備期間