震災が社会を進化させていく。

震災支援活動をしていた時に気が付き

意識して気を付けていたことがある。


ボランティアは、自分のことに夢中で周りが見えなくなる傾向がある。

自分の周りで、誰がどんなことをしているのか……見えていない。

隣りと協働すれば、もっと効果的なことができるだろうに

自分で全てやろうとして、オーバーワークになってしまったりする例は

事例に事欠かない。



だからこそ私は、周りのことに常に気を配る工夫をしていた。

それが高じて、隣県にまでいく様になり、

宮城を出発点として岩手、福島と活動の場を移していく。


思うに、政治はボランティアの活動と多分に似ている。

やろうと思えばいくらでもやることがあり、

見て見ぬふりすれば、いくらでも手を抜くことができる。

議会に顔を出しさえすれば、議員として体裁は整う。


そして……周りが見えなくなりがち、というのも

ボランティアに似ているのかもしれないと感じる。

私は神戸が好きだ。

神戸の人たちが好きだから、神戸が好きになったとも思う。

だからひいき目のきらいはあるかもしれない。


けれどもやはり、神戸の人の問題意識のレベルは高い。

そしてそれが、震災を経験したが故の高さだと思えることも

多々ある。

同じように、東日本大震災を経験して、

東北の人の意識レベルは高まるだろうと思う。


日本の社会は、震災を経験するごとに進化している。

政策としてそれが、目に見えてくる。


災害のないのは、地域にとってはいいことだ。

だが、安穏としていれば、いつのまにか社会システムが

半世紀遅れていることになりかねない。


そんな危機感を、ここ最近感じている。


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by active_report | 2015-04-09 00:44 | 選挙準備期間